前回のブログで、小林秀雄著『本居宣長』を読んでいることを書きましたが、われわれの世代にとって小林秀雄の名は「評論の神様」というより「入試の神様」だったのではないでしょうか(英語ではバートランド・ラッセル)。国語の試験問題に掲げられたその文章を追いながら、さっぱり意味が掴めないで途方に暮れた記憶がよみがえってきます。それが現在では一言一句自然に(さすがにスラスラとはいきませんが)沁み込んでくるのは、当時より頭がよくなったはずもなく、たんに年齢を重ねて人生経験が増えたせいにほかならないでしょう。つまりは、小林秀雄はそれなりの大人に向かって(ケツの青い世代などにではなく)書いていたという、ごく当たり前の事情によるものだったわけです。さて、いまの受験シーズンで学生たちを悩ませている神様はだれなのでしょう?
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