わが学生時代の恩師のひとり、水野忠夫早稲田大学名誉教授が逝去されました。中央公論社からすでに名著『マヤコフスキー・ノート』や『ショスタコーヴィチの証言』の翻訳を上梓されて、颯爽と教壇に立つ姿はわたしたちの目にひたすらまぶしく映ったものです。豊かな黒髪をかきあげてロシア・アヴァンギャルドの光と影を論じ、授業後には新宿ゴールデン街へ繰り出してまた深夜まで議論を重ねるという日々。卒業して、奇しくもその中央公論社に入ってからは、遅筆悪筆で知られた先生の尻を叩きながら宝石のような文章の原稿をいただいた記憶も懐かしく思い起こされます。近年はすっかりご無沙汰してしまいましたが、晩年の先生がバレーボール部の部長としても若い学生たちに慕われていたことを葬儀の席で知り、祭壇の写真も運動着の身なりでシャイな笑みを浮かべていて、初めて見る恩師の表情に最後まで教育の現場を愛された生きざまが窺われ、悲しみのうちにも温かいものが込み上げてきました。心よりご冥福をお祈りいたします。