こんにちは。
創刊から6日が過ぎ、「中央公論Adagio」をインターネットのブログで検索してみました。
お褒めの言葉や批判、静観さまざまな書き込みを確認させていただき、発行元としてうれしい反面社会的な責任の重さを感ぜずには入られませんでした。ところで、次号6月号は「向田邦子と六本木」を特集します。ご期待下さい。
さて、4月27日付日経新聞のコラム春秋に、教育再生会議が「親学」を提唱する、という記事が掲載されていました。政府の審議会が親の務めまで指導することはなかろう、と。要は「子を持つ親への指導書」といったところでしょうか。ここで記事は向田邦子さんの名作「父の詫び状」に触れていますので、一部を抜粋します。
▼向田さんが描き出したのは、つつましく健気な家族の肖像だった。威張りらす父。母は子どもと夫の間を取り持つのに大わらわだ。祖母の通夜のとき、そんな暴君が弔問に訪れた勤務先の社長には卑屈なほどペコペコしていた。
十代の向田さんは思う。「私達に見せないところで、父は戦ってきたのだ」・・・中略・・・▼勘のよい向田さんは父親の平伏を見てすべてを悟ったけれど・・・と書いてありました。
これを読んで、毎晩夜遅くに帰宅する(飲んで)私を見て「父は戦っているのだ」と私の子ども達は果たして「悟ってくれるのでしょうか」と考えてしまいました。確かに私のこども達は勘が良く、自慢できます。たまに帰りが早いと「リストラ?」「会社で何かあったの」と心配してくれます。決して「早く帰ってきてくれて嬉しい」とか、「一緒に夕食しよう」とか言ってくれたことはただの一度もありません、みんな忙しいのですから。休みの日にゴルフや釣りで出かけても、仕事だからと言うだけで家内も子ども達も喜んで送り出してくれます、みんな忙しいのですから。話を戻しますが、おそらく家族の前でもペコペコしている親父じゃ、悟れ、って期待するほうが無理ですか。
発行元