昨年末、会社の同僚と鹿児島へ出張してきました。最近では鹿児島といえば芋焼酎が全国ブランドになって私も愛飲しております。タイミングよく、今年のNHK大河ドラマ「篤姫」が始まり、桜島が映し出されるたびに、あの雄大な景色がよみがえります。でも残念ながら薩摩言葉には出会うことはできませんでした。マスメディアのおかげといいますか、少々残念な気もしましたが、ほとんど標準語で話されていたようです(私の出会った方々は)。でも、もっとお国の言葉を大事にしても良いのではと思うのは勝手すぎますか?みなさんはどう思われますか?
ところで、ピアノレッスンは停滞しております。怠けているわけではないのですが、レベルがだんだん上がっていくにつれて、休日の練習だけでは追いつかない、ということがわかりかけてきました。とういことで、今年のテーマは「①早朝練習の実行と継続」、これに決めました。これを実行するためにも、まず①深酒はしない、②必ず駅を乗り過ごさない。(駅員さんに起こされない様にする)以上です。
第5号本日刊行! 特集は「手塚治虫と新宿を歩く」です。アダージョ世代のみなさまはだれしもその偉大な名前を目にしただけで胸がときめくのではないでしょうか。わたしも物心ついて以来、どれほど手塚ワールドで夢想の翼を広げさせてもらってきたか、とうてい語り尽くせるものではありません。そんななかでもひときわ記憶の底に刻まれているのは、中学生のときに学年誌で出会った『アリと巨人』。あの戦慄がいまでも人生を生きていくうえのひとつの指針になっています。
さて、このブログにわたしが書くのも年内はこれが最後です。『中央公論Adagio』の成長を見守ってこられた読者のみなさまに心より御礼申し上げます。どうぞよい年を迎えられますように。
日曜日の午後、カワイミュージックレプレで、鵬いづみ先生門下の生徒さんの発表会を見学してきました。発表会に参加された生徒さんは学生からご婦人方まで、日ごろの成果を思う存分発揮されておりました。特にご婦人方はシャンソン、カンツォーネ、声楽を披露される方が多かったようですがピアノ演奏はわずかに3名でした。ピアノを選ぶ生徒さんはどうも控えめで、とは先生のコメントです。それに引き換え、シャンソンやカンツォーネを披露されたご婦人方のなんとパワフルなことでしょう!自分も含めて世の中年男性はやはり疲れているということなのでしょうか?皆さん、元気を出そうじゃありませんか!ピアノでは女性の若い生徒さんが演奏されたベートーベンの「悲愴 第1楽章」には驚かされました。いつか自分も・・・・と思いつつ、会場を後にしました。
お蔭様で、ようやくピアノ入門書テキスト1冊終了することができました。ともかく1冊仕上げたという達成感は、それなりにありますよ。2冊目は「たのしいクラシック」というテキストです。1冊目の内容はリズムとか拍子について触れた内容でしたが、2冊目のテキストは音階(スケール)がテーマの構成になっているようです。ハ長調とかニ短調とか、つまり♯や♭の数で音階が変わるということなのでしょうか?この音階についても良くわかっていないのが本当のところですが、なるべく早期に仕上げられるよう頑張りたいと思います。今週の日曜日はわが鵬(先生)クラスの門下生の発表会があります。私も課題曲を弾くように何度かお誘いを受けましたが、家族に相談したところ全員から「恥ずかしいからやめてくれ」と猛反対にあい来年に持ち越しとなりました(先生ごめんなさい)。でも来年こそはチャレンジしてみようかと密かに思っています。
ピアノを習い始めて約半年、これまでテレビで有名ピアニストが奏でる曲をただ何となく聴いていましたが、今では姿勢(容姿も)や指の動きだとか、一丁前に観察する部分だけは上達したようです。特に手や指の動きには注意して見てます。
初心者が始めて習うときにレッスンの先生から「掌で卵を包むように」と教わると思います。つまり指を曲げて弾くということなのでしょう。自分もそのつもりで練習していましたが、画面の前で演奏しているピアニストの指を見ていると指を曲げているというよりは伸ばして弾いているように見受けられます。
果たして曲げた指で弾くのが正しいのか、伸ばした指で弾くのが正しいのか、その疑問に答えてくれた本が「ピアニストは指先で考える」(青柳いづみこ著、中央公論新社刊)という教本?です。答えを知りたい方は是非読んでみてください。必ず参考なりますよ。
先週末、新宿のとあるシャンソンバーを訪れました。恐る恐る扉を開け、ライトを落とした店内に入ると、スポットライトを浴びる一人の妖艶な女性ボーカルの歌声とピアニストの奏でる旋律が、そこから先に進むことを拒んでいるような錯覚に陥ってしまいました。
片隅に席を取り、なんともやり切れない雰囲気に、隣に居合わせた老人に声を掛ける。老人は年に何度かここを訪れるという。おそらく家族はここに来ていることを知るまい。ウイスキーをなめながら、ただひたすらに女性ボーカルを見つめているその表情は恍惚そのもの。自分だけの世界だ。自分も人生の後半はそうありたいと思いながら、結局終電間際まで、歌に酔いしれピアノの音色にひと時を楽しむことができました。
自分の住むビジネスの世界では「利潤」のみが正義で、あとは無意味と判断される中で生きていると、そこには自分の知らない世界があり、同時にそこで生業を立てている人々がいて、しかも人々の役に立っている。どちらが上でどちらが下だとか、どちらが幸せでどちらが不幸といった判断基準ではなく、いろいろなものに触れてみて、自分の尺度(世界)を広げていくことの大切さを痛切に感じて、少々酔いの回った身体で地下鉄に乗り込みました。
今年の春にピアノ教室へ通い始めてはや半年。習い始めたばかりの時は、いつまで続くだろうと不安でしたが、いつのまにか夏も過ぎて季節はすでに秋を迎えています。よく頑張ったと自分でも感心しています。
ところで、ピアノというものは、いきなり曲を弾こうと思ってもなかなか指は思い通りには動かないものです。私のように五十を過ぎた中高年はなおさらのこと。今習っている初心者用テキストもあと1曲で終了となりますが、もうひとつのテキストでハノンという極めて単調にして退屈な練習曲集があります。指の訓練というか10本の指を自由自在に動かすための教本だそうです。現在ハノンの2番を特訓中です。楽譜の欄外には「小指(5)と薬指(4)は生まれつき弱いがこの練習曲によって力強い指となり、・・・・」と書いてあります。この教本の作者は、18世紀フランスのハノンさんというピアノ教師だそうですが、初心者はもちろんのことプロのピアニストでも普段の練習で、指を慣らす為にこの教本を使うそうですから、考えたハノンさんは大したものです。私の師匠であるカワイミュージックの鵬先生のレッスンでも必ずここから入ります。リフォーム番組ではありませんが、確かに習う前(Before)と後(After)では音が奇麗に出るようになったなと、実感しています。「いつの日にか」を夢見て今週末もハノンさんと遊ぶことにしますか。・・・・・・・でもやっぱり退屈だ。